麻乃ヨルダの秘密基地

性別が迷子な人の方向性が迷子なブログ。だが男だ。

「説明書」は僕のロマンだった~もうあの時代はやってこない

      2016/09/28



僕は若造だ。だけど、過去を振り返って「あの頃は……」と、管を巻ける程度には歳を食っている。

特に、「ゲーム」に関しては色々と思うことがある。僕は人に意見を押し付けるのも押し付けられるのも嫌いなので、「昔はよかった」と周囲に喚き散らすことは無いが、一人でノスタルジーに浸ることは多い。その一つが、「説明書」だった。

殺風景になったパッケージ

僕は最近新しいゲームをあまり買っていない。新しいゲームに興味がないわけじゃないし、最新機のハードで遊ぶソフトは完成度が高くて本当に楽しい。ただ、小さい頃にクリアできなかったゲームを再びやり込んだりするのもまた楽しいので、今はそっちを優先させている。スーファミとかゲームボーイとか、今でも面白いものは面白い。

まぁそこはどうでもいい話だ。問題はこの先。自分はゲームから少し離れた時期があって、その時期を終えて久しぶりに新しいゲームを買ったときのこと。ウキウキでパッケージを開けた僕はとんでもない違和感に気付く。

「説明書がない」

思わず「不良品か……?」と、商品の入っていたビニール袋とパッケージをもう一度確認し直したくらい、僕にはショッキングな出来事だった。だって、自分にとって「あって当たり前の物」がなかったんだから。

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ゲームの一部だった説明書

小さい頃の僕は、ゲームについてくる説明書を読むのがいつも楽しみで仕方なかった。

数十ページの小さな冊子に、詰め込まれたゲームの世界観。散りばめられたキャラクターやアイテムのイラストに心躍らせていた。肝心のゲームをやらずに説明書をずっと眺めていたこともあった。

小さい自分は感じられていたか分からないけど、よくできたゲームのよくできた説明書には製作者の愛があって、「このゲームをより楽しんでもらおう」という情熱があった。説明書も含めて、それは一つの作品だったのだ。

だから、説明書がないとまるでゲームの一部が欠け落ちているような、そんな気すらしてしまったのだ。

説明書がないのは必然

気になったので、僕は今のゲームの説明書について、少しネットで調べた。

まず、今の時代では”紙の”説明書の必要性が薄くなっている。ネット上で配布すれば嵩張らないし無くすこともない。印刷するコストもカットできる。誰もがネットで繋がる今の時代に、紙の説明書は必要なくなっていた。

また、以前のゲームにとって、説明書とはゲーム中で説明できない部分を補完する役目も持っていた。ハードの容量不足によって、いかに必要な部分を表現して、残りの部分をカットしていくかが重要だったのだから、ソフトの外でゲームの世界観を表現できる説明書はある意味制作側にとって必須のアイテムだった。

けど、今では容量不足を気にすることなんてないし、「チュートリアル」の形で操作説明をしてしまえば、わざわざ冊子を読む必要もなくなる。こうして考えると、ゲームについてきた説明書が「無駄の塊」のように感じられて、無くても今のゲームは全く問題なく成立することに気付く。

僕が気付いたとき、説明書を眺めて楽しむ時代はいつの間にか終わっていた。

思い出として生きていく

読んで楽しむ説明書が必要とされる時代は、もう来ないと思う。Xboxを販売するMicrosoftのページにもこんなことが書いてあった。

2012 年現在、マイクロソフトは紙資材削減による環境への配慮を目的とし、2012 年発売以降の製品は製品品質を向上し、一部の製品を除きゲームの説明書を含んでおりません。主な法律上の規定、保証、およびカスタマー サポートに関する情報は、パッケージに収められ、ゲームのスリーブケースの裏面に印刷され、ケースを通してディスクの裏側で確認できます。ゲームの使用に関する情報は、ゲーム自体の中で示されます。

ネットで確認すればいいし、環境にも良くないし、ゲームの世界観は攻略本なりファンブックで楽しめばいいのだから、やっぱり説明書はいらない存在になった。

僕も今更「説明書を復活させろ!」なんて言う気もない。だから、せめて家にあるゲームの説明書をパラパラと読んで、”無駄”を楽しんでいたいと思う。

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